友人の中の私
昨日、中高時代の友人と久々に食事した。
複数人で会うことはあったけど、二人きりというのは
数年ぶりで当たり前のように会う前は緊張した。
会った瞬間に相手が緊張するねといってくれたことで
私の緊張は解けた
本当にリラックスして話のできる友人の一人だ
互いに内向型であるため、
会話の中心は自分の考えや、思い、思考である。
本当に楽しい。誰かの哲学を聞くのは刺激になる。
○○をしたよ、だけの行動ベースの雑談は本当につまらない。
職場で執拗にそうした日常の報告をしてくるおじさんがいるが
いつか目の前で言ってみたいもんである。
そして、やはり今の職場にくるまでに素敵な人々に会いすぎていたのかもしれない。
今の職場に、私がおもしろいと思える人がいないと、友人にいったとき、
ではそんな、人と会話するのは時間の無駄だからやめた方がよいときっぱり言ってくれた。
私の中に、誰しも尊敬できるところは1つくらいあるはずだという誰のためにあるのかわからないいい子ちゃんがいて、
素直な気持ちに足枷をつけてくる。
信頼できる友人がその足枷を外してくれる。
価値がない人間はいないとしても
私にとって価値がない人間がごまんといるのは至極当然のこと
さて、書きたかったのは
私は自分に自信が本当にない
だから、誰かのなかの私の像を聞いて私を知るのだけれど
それが案外自分が思ってる自分よりいいやつで救われる。
究極的にいいやつである必要はないけど
私は私が考えるいいやつではありたい
この現象は?
私は、誰かに何か誘われたり、お願いごと(×仕事)をされたとき
自分に都合が悪ければ断る
でもそのとき
なんで?
とか
ひどい
とかいってくる意味がわからない
わからないけど、自分が悪いことをしている気分にさせられる
断ること自体、私は精神削れて嫌なのに
そのあと不快な気分にさせられる
ひどいのはどっちだ?と言いたくなる
しつこく食事を誘ってくる人
はっきり理由も述べてお断りしてるのに
しぶとく食い下がられる
罪悪感で心が一杯になると
誘いを断れなくなる
誘いにのると
罪悪感もないし、断るという労力もない
これの方が楽じゃないか?とさえ思えてくる
元々は乗りたくない誘いなのに。
誘いやお願いごとをされるのが嫌いだ。
誰も私に構わないでほしい
一度拒否する姿勢を見せたのに、なぜまだしつこく関わろうとするのか
友人に相談しても
甘いんだよとか優しさのつもりかもしれないけどそれは優しくないとか
色々言われるけど
強く断り続けるのも本当に疲れる
そしてそんな態度をとった相手と
顔を合わせなくてはならないのも全部全部苦痛
組織で働くのやーだーなー
写真を撮る
友人から借りた幡野さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』を読み始めた
人は好きなものを写真に撮る
良い写真は撮ったひとの気持ちが伝わるもの
などから思ったこと思い出したこと以下
最近は婚活アプリなるもので、何人かのひとと会っている
これまで全力受け身だったけれど、
相変わらず恋愛に前向きに行動するのは億劫で苦手だけど
ひとの仕事の話を聞くのは純粋に楽しいと思えて
なんとか淡い期待も抱きながら何人かと会ってきた
会うって、すごいことなんだと思わざるをえない
会うと、自分と話が合うのか合わないのかほんの一瞬でわかる
8月頃にあって何度か会い続けてるひとがひとり
よくよく聞くと共通の知り合いが何人かいる
とてもバックグラウンドの似ている人
普通に話せる、でもそれは職場の同期のようなそんな気持ち
会ったばかりだし緊張かなあとおもってたけど
やっぱり気持ちは動かない
もともと人をなかなか好きになりにくいタイプなのだろうけど
どうしたもんかと悶々してるうちに
もうひとり話しやすいそしてこれは心から気楽なひとと会った
先日2回目デートしたけれど、
自然と写真をとった自分がいて自分でも少し驚いた
けれど、私を撮られるのは避けてしまった
本来とられたがりなのに、
当たり前だろうけど、写真を撮る行為にはひとの気持ちがのっかてるんだなあとしみじみ思った
学生時代にサークル(写真部)の人達と旅行をしたときのこと
旅行から帰って来て、サークルのあるひとりから私が写ってる写真をあげたいといわれた
それ自体は部員同士とりあってるから全く大したことではないのだけど。
貰った写真を見て、そのひとが私のことを好きなのだと(前々から周囲も私もなんとなく気付いていたけど)確信した
まずよく見ているし、
自分でいうのも変だけれど綺麗に可愛くとれている
写真がうまいのもあるけど、
モデルかな?みたいな絶妙な一瞬が切り取られている
はっきりいって自分じゃないw
そんな出来事思い出した
写真を撮る
友人から借りた幡野さんの『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』を読み始めた
人は好きなものを写真に撮る
良い写真は撮ったひとの気持ちが伝わるもの
などから思ったこと思い出したこと以下
最近は婚活アプリなるもので、何人かのひとと会っている
これまで全力受け身だったけれど、
相変わらず恋愛に前向きに行動するのは億劫で苦手だけど
ひとの仕事の話を聞くのは純粋に楽しいと思えて
なんとか淡い期待も抱きながら何人かと会ってきた
会うって、すごいことなんだと思わざるをえない
会うと、自分と話が合うのか合わないのかほんの一瞬でわかる
8月頃にあって何度か会い続けてるひとがひとり
よくよく聞くと共通の知り合いが何人かいる
とてもバックグラウンドの似ている人
普通に話せる、でもそれは職場の同期のようなそんな気持ち
会ったばかりだし緊張かなあとおもってたけど
やっぱり気持ちは動かない
もともと人をなかなか好きになりにくいタイプなのだろうけど
どうしたもんかと悶々してるうちに
もうひとり話しやすいそしてこれは心から気楽なひとと会った
先日2回目デートしたけれど、
自然と写真をとった自分がいて自分でも少し驚いた
けれど、私を撮られるのは避けてしまった
本来とられたがりなのに、
当たり前だろうけど、写真を撮る行為にはひとの気持ちがのっかてるんだなあとしみじみ思った
学生時代にサークル(写真部)の人達と旅行をしたときのこと
旅行から帰って来て、サークルのあるひとりから私が写ってる写真をあげたいといわれた
それ自体は部員同士とりあってるから全く大したことではないのだけど。
貰った写真を見て、そのひとが私のことを好きなのだと(前々から周囲も私もなんとなく気付いていたけど)確信した
まずよく見ているし、
自分でいうのも変だけれど綺麗に可愛くとれている
写真がうまいのもあるけど、
モデルかな?みたいな絶妙な一瞬が切り取られている
はっきりいって自分じゃないw
そんな出来事思い出した