友人の中の私
昨日、中高時代の友人と久々に食事した。
複数人で会うことはあったけど、二人きりというのは
数年ぶりで当たり前のように会う前は緊張した。
会った瞬間に相手が緊張するねといってくれたことで
私の緊張は解けた
本当にリラックスして話のできる友人の一人だ
互いに内向型であるため、
会話の中心は自分の考えや、思い、思考である。
本当に楽しい。誰かの哲学を聞くのは刺激になる。
○○をしたよ、だけの行動ベースの雑談は本当につまらない。
職場で執拗にそうした日常の報告をしてくるおじさんがいるが
いつか目の前で言ってみたいもんである。
そして、やはり今の職場にくるまでに素敵な人々に会いすぎていたのかもしれない。
今の職場に、私がおもしろいと思える人がいないと、友人にいったとき、
ではそんな、人と会話するのは時間の無駄だからやめた方がよいときっぱり言ってくれた。
私の中に、誰しも尊敬できるところは1つくらいあるはずだという誰のためにあるのかわからないいい子ちゃんがいて、
素直な気持ちに足枷をつけてくる。
信頼できる友人がその足枷を外してくれる。
価値がない人間はいないとしても
私にとって価値がない人間がごまんといるのは至極当然のこと
さて、書きたかったのは
私は自分に自信が本当にない
だから、誰かのなかの私の像を聞いて私を知るのだけれど
それが案外自分が思ってる自分よりいいやつで救われる。
究極的にいいやつである必要はないけど
私は私が考えるいいやつではありたい